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中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)

中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)



相続裁判の当事者尋問では終末医療も問われるか


母親の死後、生前贈与や遺贈が無効であるとして長女が長男夫婦を訴えた訴訟(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認請求事件)の当事者尋問が2011年1月17日14時から17時まで東京地方裁判所・民事610号法廷で行われる。入院中の母親の治療に最善を尽くしたかが問題になっており、終末医療と家族の意思という難問にも通じる裁判である。

当事者尋問は原告(長女)、被告(長男夫婦)の3名である。この裁判では多くの論点が存在する。所有権移転登記や遺言書の有効性が争われている。また、相続財産が不動産、株式、預貯金、茶道教室(稽古場)、茶道具、着物など多岐に渡っており、その評価が問題になる。

その中で母親の入院中の治療に最善を尽くしたかも問題の一つである。89歳の母親は2007年6月18日に倒れて入院した。7月に入ると回復に向かい、リハビリを開始した。医師からは退院を示唆されるまでになり、原告は退院後の介護施設を探していた。ところが、8月後半から病状が悪化し、9月8日に亡くなった。

母親の入院中は長男が医師とやり取りした。長男の陳述書は以下のように記載する。

「母が入院していた間、病院との話し合いの窓口はすべて私でした。医師も看護師も重大な用件についてはすべて私を通して話をしていました。」(乙第89号証「陳述書」22頁)

原告は長男が母親の治療に最善を尽くすように医師に依頼していたと信じて疑っていなかった。そのような原告にとって医師記録の内容は驚くべきものであった。

医師記録の8月20日には「family (son)は延命につながる治療を全て拒否。現在Div.で維持しているのも好ましく思っていないようである」と書かれている。長男(息子son)は母親の延命につながる治療を全て拒否し、点滴(Div.: Drip Infusion into Vein)で生命維持していることさえ好ましくないと考えているとある。医師記録は上記に続けて「本日にてDiv.終了し、明日からED(注:経腸栄養療法Elementary Diet)を再開する」と記す。長男の要望で点滴を終了したことになる。

長男は8月27日にも医師の勧める高度医療を拒否した。医師記録には「……変更、増強したいところであるが、familyはやんわりとであるが、高度医療は拒否されている」とある。

9月3日には母親の呼吸状態が悪化したが、長男は酸素吸入(O2 inhalation)も断った。9月3日の医師記録には「familyの要望どおり、O2 inhalationも行わない→当直時間帯のみ許可」とある。夜間のみ酸素吸入を行ったため、日中に症状が悪化し、夜間に持ち直すという状態が繰り返された。

さらに長男が入院中の母親の経管栄養の流入速度(注入速度)を速めたことも判明している。原告の指摘に対し、被告代理人は「長男が母親の点滴を早めたなどの主張をしておりますが、それは点滴ではなく流動食であり、何ら問題ないものです」と回答し、経管栄養(流動食)の流入速度を速めたことを認めた(平成20年7月4日付「ご連絡」3頁)。

経管栄養の流入速度を速めたことを「問題ない」とする被告に対し、原告は以下のように反論する(原告第3準備書面6頁以下)。経管栄養は医療行為であり、ミスをすれば患者を死に至らしめる危険のあるものである。医者が定めた流入速度を「時間がかかりすぎる」という理由で勝手に速めて良いものではない。

国立がんセンターはウェブサイトで経管栄養について「栄養剤の注入方法」と題して「1日の必要量・経管栄養剤の種類は患者の個別性があるため、患者氏名・栄養剤の種類・量・流入速度を医師の指示表と確認して準備します。」と記載している。流入速度が速過ぎて下痢など患者の症状を悪化させた例は多い。

現実に長男が経管栄養の流入速度を速めた後で母親は嘔吐している。「経過記録」の8月15日には「Bedに戻り臥位になった時嘔吐してしまう」と記録されている。その夜の16日1時過ぎにも嘔吐した。医師が診察し、医師記録には「原因判明するまでintubation feeding(注:経管食事法)は中止し、Div.(注:点滴)管理とする」と記された。その後、母親は点滴管理とされて小康状態になったものの、8月20日には前述のとおり、生命維持を長男が好ましく思っていないと記され、点滴を終了した。

長男が経管栄養の流入速度を速めた後で母親が嘔吐したことに対し、被告は「点滴後、2時間以上も経過していたのであるから、点滴と嘔吐は一切関係ない」と反論する(被告準備書面(9)3頁)。しかし、原告は健康への悪影響が2時間以上経過後に現れることは珍しくないと再反論する。

2時間以上経過していることをもって「点滴と嘔吐は一切関係ない」と断定する科学的根拠は皆無である。そもそも医学的には投与後24時間以内に起こる嘔吐を急性嘔吐、24時間以降に起こる嘔吐を遅発性嘔吐と定義する。2時間以上経過した程度では立派な急性嘔吐であるとする(原告訴えの変更申立書(2)7頁)。

母親は倒れてから一度も自宅も帰ることもなく、僅か3か月弱の入院で亡くなった。現代日本の医療水準では半身不随になりながらも何年も生きる人が多いことを踏まえれば、これは非常に短い。実際、不治の病に侵された病人でも想像以上に長生きできるものである。以下の指摘がなされている。

「心臓、肺、肝臓の重篤な病気で余命六ヵ月診断した患者のうち、最も厳しい基準、最も確実に死ぬであろうという基準の下に選んでも、その選ばれた患者の過半数は六ヵ月後にも存命していた。」(池上直己「亡くなり方を考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、30頁以下)

一頃は理想の死に方としてピンピンコロリ(PPK)がもてはやされた。ピンピン元気に生きて、コロリと死のうという意味である。しかし、最近ではピンピンコロリの危険性が指摘されている。ピンピンしていない老人はコロリと逝った方がいいというファシズム思想につながるからである。ピンピンコロリは高齢者当人の気持ちを無視した、周りの人や医療費削減を狙う厚生労働省の願望にも聞こえる。

実際、ニュースキャスターの阿川佐和子氏は最近、何人かの方から以下のような死に方を望むと言われたと紹介している。

「僕はがんのような病気になって、あと余命何年とか、何ヶ月とか言われることによって、自分が死ぬことに対していろいろな準備をし、部屋をきれいにしたり、財産を整理したり、子どもたちと交流したりして、家族もゆっくり覚悟をしたうえで、これで双方すっきりしたと言って死ぬほうがいい」(「パネルディスカッション 終末期のケアを考える」『慶応義塾創立150周年ブックレット 学問のすゝめ21』慶応義塾、2008年、73頁)

どこまで終末医療を家族の一部が左右できるのかという難しい問題が当事者尋問では浮かび上がることになる。