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中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)

中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)



弁護士の粗末な交渉で泥沼相続紛争


弁護士の交渉の杜撰さに起因して、泥沼に陥った相続紛争の事例を紹介する。被相続人が2007年に亡くなり、配偶者は既に他界しているため、被相続人の財産は三人の子どもが相続することになった。長男(被告)・長女(原告)・次女である。

被相続人の死後に長男は被相続人所有不動産が自分に生前贈与されていると明かした。さらに死後に遺言書を発見したと主張した。それによると、遺産となる預貯金の多くを長男、茶道具の全てを長男の配偶者に遺贈していた。相続財産の大部分を占有する長男夫婦が協力しないため、正確な相続財産の目録も評価もできていないが、生前贈与・遺贈通りとなると長女側の計算では遺留分さえ侵害されることは明白であった。

そのため、長女は2008年2月、長男及び配偶者の両者に民法1031条に基づき、内容証明郵便で遺留分減殺を請求した。遺言書そのものの真贋も問題であるが、遺留分減殺請求には消滅時効があるためである。次女も2008年8月26日に遺留分減殺請求を行ったとされる。

長女の遺留分減殺請求に対し、3月13日付の内容証明郵便で同一の弁護士法人に所属する4人の弁護士が、長男の代理人として委任を受けたことを長女に通知した。長女は長男の委任状の写しの送付を要求した上で、長男の配偶者に対しても遺留分減殺請求を行っている点をファックスで指摘した。これに対し、長男の弁護士は3月19日に配偶者とも委任契約を締結したと返信した。ところが、あわせて送付された委任状の写しが問題であった。

3月18日付の委任状には委任の内容として「被相続人○○にかかる相続における交渉の一切」と書かれていた。これは先に送付された3月5日付の長男の委任状と同内容である。しかし長男の配偶者の委任内容としては不適切である。

委任状


長男の配偶者は相続人の配偶者に過ぎず、相続人ではない。長男の配偶者にとって長男の母は被相続人ではなく、被相続人の財産を相続することもない。従って長男の配偶者が被相続人の相続について交渉権限を弁護士に委任すること自体があり得ない。

すぐに長女は上記問題を弁護士に指摘した。配偶者本人宛も含む複数回の催促を経て、半月後の4月7日に法律事務所から委任内容を「○○にかかる遺贈における交渉の一切」と修正された委任状の写しが送付された。

委任状


本件で驚かされる点は基本的な事実関係すら把握することなく、弁護士が委任状を受け取り、それを交渉の相手方に送付していることである。委任状は依頼者が作成して弁護士に交付するものだが、法律事務所で原型を用意し、依頼者は必要な箇所を埋めて捺印するだけという形が通常である。書く内容も弁護士側が指導する場合が多く、誤りが生じないようにしている。それにもかかわらず、相続人でもない人間に対し、相続に関する交渉権限を委任させることは信じ難い。

しかも修正前と修正後の委任状では依頼人の印鑑が全く別物になっている。修正前の委任状では印影の字体が印相体で、高級な印鑑を使用していた。ところが、修正後の委任状では印影が三文判にあるような普通の字体となっている。

委任状は代理権を授与するものである。代理人の法律行為は本人に帰属する。たとえ本人が承知していなくても、代理権を委任した者の行為ならば本人が責任を負わなければならない。それだけ委任状の作成は慎重にしなければならないものである。

ところが本件では慎重さがみられない。依頼者は弁護士任せで、法律事務所側も定型的な処理として委任状を受け取るだけである。委任状の内容が適切であるか熟慮したとは思えない。

長男夫婦が委任した弁護士法人のウェブサイトによると、市民に身近な法律事務所を目指しているようである。普通の人にとって弁護士への相談は敷居が高いと指摘されており、一見すると悪いことではないように思われる。

しかし敷居の低い法律事務所にした結果、本件のような杜撰な委任状が作成されるならば依頼人が損害を被る危険もある。積極的に宣伝広告し、相談しやすさをアピールする弁護士の問題が指摘されている(林田力「宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除」PJニュース2010年3月27日)。

弁護士の質の低下も指摘されており、弁護士だからと無条件に盲信するのではなく、疑う必要があることを示している。

その後の弁護士の交渉も問題であった。弁護士は当初、会って話をすることを提案したため、長女は都合の良い日時・場所を返信した。ところが、驚くべきことに弁護士は自分から提案したにもかかわらず、当面はスケジュールが埋まっているため、書面のやり取りをしたいと2008年3月19日付けで回答した。

その後、一度も面談交渉はなされていない。長女側は上述の委任状の問題点を粘り強く指摘したために、簡単に丸め込める相手でないと感じて慎重になっているのではないかと推測する。

弁護士は4月11日付ファックスにおいて、長男夫婦に100パーセントの寄与分があることを主張し、遺留分減殺請求には理由がないと主張した。「遺留分算定の際の相続財産は、被相続人の財産形成に寄与のあった相続人の寄与分を控除したものであるところ、Y1氏(長男)の寄与分を控除すればA氏(被相続人)の相続財産は存在しない」と。

これに対し、原告は以下のように反論した。

第1に長男夫婦は被相続人と同居していただけで、寄与の事実はない。寄与によって財産が増大したとの具体的説明もなされていない。

第2に寄与分は相続人が対象であり、長男の嫁は対象外である。

第3に遺留分額の算定に、寄与分の有無が影響を及ぼすことはない。寄与分があるから遺留分がないとの論理は成り立たない。

第4に寄与分は相続開始時の財産から遺贈を控除した額を超えることができない(民法第904条の2第3項)。遺言書が有効とすると財産の大半が遺贈されており、原告の遺留分を否定するだけの寄与分が成立することはない。

これに対する5月2日付の弁護士の再反論が粗末であった。第3の遺留分算定に寄与分は影響しないという点について、「簡明な説明のために厳密な表現を用いなかった」と釈明する。寄与分が認められるならば、寄与分に対しては遺留分減殺請求できないと主張したいようである。しかし、これでは先の主張(遺留分は相続財産から寄与分を控除して算定する)とは全く別の意味になる。

そもそも寄与分という法律上の言葉を使う以上、正しい意味で使用しなければならない。「厳密な表現を用いなかった」は法律を曲げて都合のいい主張をしたことの言い訳でしかない。仮に長女が「弁護士の主張することだから」と真に受けてしまったならば大損害を被るところである。

さらに驚くべきは弁護士による以下の文言である。「貴殿がY1氏やY2氏(長男の嫁)の寄与を無視した主張や要求をされることは、遺言に込められたA氏の思いを踏みにじるものであり、A氏は悲しまれます。」

相続人が法律上保障された権利(遺留分減殺請求権)を行使することで、被相続人が悲しむと決め付ける。ここには法的根拠も論理性も存在しない。いったい、弁護士は生前に会ったこともない故人の感情を、どのような方法で確認したのか。

弁護士が所属する弁護士法人のウェブサイトでは、公正中立な立場ではなく、クライアントの利益を守るのが弁護士の責務という理念を掲げている。しかし顧客の利益を守ることは、全ての職業に求められる当然の責務である。弁護士が他の職業以上に世の尊敬に値する職業であるのは、顧客の利益を守る以上の要素があるためである。基本的人権を擁護し、社会正義を実現することが弁護士の使命である(弁護士法第1条)。

法律を無視し、相手方の権利を踏みにじり、ひたすら依頼人の利益を追求することは弁護士の責務ではない。実の親の感情を勝手に決め付けて攻撃する弁護士のやり方に、長女は非常に腹を立てており、懲戒請求も視野に入れていると語る。

この相続紛争は法廷で争われることになった。長女は8月27日に長男と配偶者を被告として東京地方裁判所に提訴した。生前贈与や遺贈が無効であるとして、相続人が相続持分の確認を求める訴訟である(平成20年(ワ)第23964号、土地共有持分確認請求事件)。

この裁判は民事第31部合議A係に係属し、志田博文(裁判長)、清水響、今村あゆみの3人の裁判官が担当した。第1回口頭弁論は2008年10月23日、東京地方裁判所・民事第712号法廷において開かれた。

口頭弁論では原告(長女)は本人が出席した。原告は弁護士をつけない、本人訴訟であるためである。一方、被告は欠席した。最初に原告が訴状を陳述し、被告が事前に裁判所に提出していた答弁書は裁判長によって擬制陳述(第158条)の扱いとされた。

答弁書を含む準備書面は相手方当事者に直接送付(直送)しなければならないと民事訴訟規則に定められている(第83条)。しかし、被告は答弁書を原告には送らなかった。そのため、答弁書は10月10日付になっているが、原告が答弁書の副本を受け取ったのは口頭弁論当日に裁判所書記官から渡されてである。

しかも答弁書は形式だけで実体のないものであった。答弁書は訴状に記載された原告の主張の一つ一つに対して反論があれば反論するものであるが、この答弁書の「請求の原因に対する認否」では「調査の上、追って主張する」と書かれてあるだけであった。

答弁書に「追って主張する」とだけしか書かないことで、反論の書面の提出締め切りが第2回口頭弁論の1週間前までに延長される。そのため、原告の態度硬化を覚悟するならば、時間稼ぎをしたい被告にとっては有効な戦術である。

この場合、どのように取り繕っても、実体がないことは隠しようがない。原告の印象を一層悪化させるものであることは避けようがないため、変な言い訳をせず三行半的に「追って主張する」とだけ書いて突き放すことが普通である。ところが被告の答弁書では、わざわざ「調査の上」と書いている。これは原告から見れば非常に嫌らしいものである。

被告の代理人弁護士は原告が提訴する半年弱前の3月の時点で被告から「相続における交渉の一切」について委任されていた。提訴されて始めて訴訟代理人を受任した訳ではない。その前から相続問題の代理人を務めており、改めて調査する必要はない。形式だけの答弁書に「調査の上」と付けるのは蛇足であり、原告の感情を逆撫でするものであった。

口頭弁論では裁判長も被告の答弁書を「内容がない」と評し、被告の準備書面提出を待つとした。原告は裁判長に対し、「私の方は準備書面を提出しなくて宜しいでしょうか」と質問した。原告の主張は訴状に盛り込まれているが、訴状では事件の概要も説明しなくてはならず、どうしても概略的になってしまう。故に具体的な主張を準備書面にまとめて、証拠とともに提出する準備を進めていたためである。これに対し、裁判官は「被告が準備書面を提出する時期にもよるが、まずは被告が準備書面を提出してから」と応じた。

最後に裁判長は原告に対し、「裁判に至る前に被告の弁護士とは交渉があったのか」と質問した。原告は以下のように回答した。

「内容証明郵便で面談を要求されたが、こちらが希望日時を返信すると面談は拒否された。ファックスで一方的な主張を送りつけられ、納得がいかないので提訴した。」

交渉決裂の経緯は訴状でも説明されているために裁判長も関心を抱いたものと思われる。その後、訴訟は第2回口頭弁論(12月4日)、第3回口頭弁論を経て、弁論準備手続きに移行し、既に10回以上行われている。

本訴訟は兄弟間の相続紛争であるが、家庭裁判所ではなく、地裁を舞台としているところが特色である。遺産分割の争いではなく、生前贈与や遺言の有効性が争点になるためである。また、遺産中に大量の茶道具類がある点も特色である。価格を算定しやすい有価証券や不動産と異なり、茶道具類の評価基準は明確ではない。同種事件の参考になるような判断がなされる可能性もあり、訴訟の展開が注目される。

裁判の行方は混戦模様である。一般に相続裁判では早期決着を予想する者はいない。当事者と代理人は何年も拳骨を振り回して闘い続けるだろうし、その間に訴訟は裁判制度の階段をジリジリと這い上がって、いずれは最高裁判所まで達し、そこで最終判断を下されることになる。判決が確定しても執行をめぐって争いが続くことになる。
オーマイニュース「弁護士への委任状のずさん」2008年6月11日
オーマイニュース「相続紛争で何でもありの弁護士交渉」2008年6月24日
●相続裁判期日
第1回口頭弁論(平成20年10月23日)
第2回口頭弁論(平成20年12月4日)
第3回口頭弁論(平成21年2月5日)
第1回弁論準備手続(平成21年3月19日)
第2回弁論準備手続(平成21年5月14日)
第3回弁論準備手続(平成21年6月23日)
第4回弁論準備手続(平成21年7月24日)
第5回弁論準備手続(平成21年9月10日)
第6回弁論準備手続(平成21年10月29日)
第7回弁論準備手続(平成21年12月3日)
第8回弁論準備手続(平成22年1月18日)
第9回弁論準備手続(平成22年3月9日)
第10回弁論準備手続(平成22年5月13日)
第11回弁論準備手続(平成22年7月13日)
第12回弁論準備手続(平成22年8月26日)
第13回弁論準備手続(平成22年10月21日)
第4回口頭弁論(平成23年1月17日14時〜17時)当事者尋問(原告1名、被告2名)、民事610号法廷
第5回口頭弁論(平成23年3月10日)証人尋問。東京地裁712号法廷で11時から。
第6回口頭弁論(平成23年5月19日)。東京地裁712号法廷で10時半から。