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仕事

仕事(労働)とは、奴隷制の一形態として人間が肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、人間や動物にとって有用なものをつくりだす行為である。

また、商品としての労働力は、肉体や頭脳を提供する代わりに、賃金を得る行動であるとも定義され、賃金奴隷制度ともいわれる。賃金を得ない活動はボランティアと呼ばれる。

道具・機械・建物・交通・通信(労働手段)を用い、土地・森林・水域・地中資源・原料(労働対象)に対して行なわれる。労働手段と労働対象を合わせて生産手段という。

国際労働機関では、望ましい労働の形としてディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目標に挙げている。また、フィラデルフィア宣言において「労働は商品ではない」という原則を掲げている。

 

 


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イズミット

前8世紀ころ、既に都市が建設されていた。前3世紀、ビティニア王国のニコメデス1世によって再興し、ニコメディアと称された。3世紀後半、専制君主政を創始したローマ皇帝ディオクレティアヌスは、帝国を4つに分けて統治する政策をとった。この際、ニコメディアは東方正帝(ディオクレティアヌス)の支配拠点となり、コンスタンティヌス1世と争ったリキニウスなどが統治した。324年にリキニウスがコンスタンティヌス1世に敗れるまで、ニコメディアはローマ帝国の東の都であった。コンスタンティヌスは次の首都が設立されるまでの6年間、ニコメディアに住んだ。330年にコンスタンティヌスはビザンチウム近郊に、新ローマ(コンスタンティノープル)の創設を宣言した。337年コンスタンティヌスは、ニコメディア近郊の別荘で亡くなった。

ニコメディアは、新しい首都に向かう道路が集中する場所であったため、コンスタンティノープル創設後もその重要性を保った。6世紀末まで、街はビザンチンの支配下にあった。その後、セルジューク・トルコによって一度占領されるものの、第1回十字軍によってすぐに奪還された。1204年の十字軍によるコンスタンティノープルの占領後、町と他のビテュニア地域のほとんどがラテン帝国の一部となった。1235年頃、ビザンチンが町を奪還し、14世紀前半まで支配した。1338年、町はオスマン帝国によって征服された。






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国人

国人は、平安時代中期に成立した後期王朝国家体制の下で荘園と公領の管理者となった荘官・郡司・郷司・保司の階層や、そこに出自することの多かった鎌倉時代以降の地頭の系譜を引く在国の領主の一般的呼称で、同時代的に使われた資料用語である。幕府や守護、荘園領主など外部の支配層に対抗する在地勢力の意味で使われ、独自の領域支配をめざした。

「国人」という呼称は、「在地に居住した惣領を中心に独自の勢力を持つ武士」を指す言葉として、鎌倉時代から散見される。彼らの直接の源流は鎌倉時代の地頭職の武士にあり、そうした武士たちが土着し、在地領主となったものである。鎌倉時代には、支配層に反抗する者の意味を含む「悪党」という名で呼ばれることもあった。

この層の武士たちが重要な存在となったのは鎌倉幕府滅亡の前後から南北朝時代にかけてで、特に観応の擾乱の頃からである。南北朝時代には、諸国の政治・軍事は国元に腰を据えている領主たちによって動かされた。一方で国人たちは、中央政界の動向にも敏感に対応していった。国人は室町幕府や守護大名・荘園領主の行動を左右する実力を蓄積する在地勢力にまでに成長したのである。この背景には、南北朝の動乱期に目覚めた支配下の農民層への支配力の強化、室町幕府や守護大名の支配や干渉への対抗、馬借や問丸といった運送業の発達に伴う流通経済・地域経済の伸張がある。

領地の経営では、在国あるいは在地領主としての国人領主は、各所に散在して地方を支配するという地頭領主型の支配形態から一歩進み、本領を中心に集中性を持つ領域支配をするようになった。国人層は荘園領主と地下人の対立に介入し、代官職や所務職などを請け負うこともあった。国人領主の領域支配は、それ以前の在地領主と比べて土地と農民の支配がより強固である。検地や国人間に結ばれた人返しなどがこの例である。