買取のご案内

大量の反物や仮絵羽の買取

新潟の反物買取は反物買取専門店の京都きものセンターまで

昔の地名では、越後国と佐渡国になります。
古く平家の時代には、城長茂が統治しますが、源義仲に破れ、勢力を失います。

室町時代よりは、越後、上野、相模、武蔵の守護として台頭した上杉氏がこの地帯を統治します。 さらに室町時代後期に上杉謙信が誕生して、戦国時代に突入します。

上杉謙信の死後、御館の乱にて息子、景勝と景虎が争いますが、
景勝が勝利します。直江兼続という名宰相も備えた上杉景勝は、
戦国時代を生き残りますが、国替えにより出羽国に移され、米沢藩としてスタートします。


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その他、市郡町村など
新潟のお客様で反物をお持ちの方は、ぜひ京都きものセンターへご相談ください。

__新潟出張買取紀行__

魚沼産コシヒカリを筆頭に、米どころで有名な新潟ですが、繊維産業でもその名を知られております。
かつて景気よかりし80年代には、京都の西陣、丹後に次いで十日町が全国でも大きな規模をもつ繊維の産地でした。

今でも十日町友禅の振袖や訪問着といえば、加賀友禅や京友禅に引けを取らない華麗で豪奢なお品です。

新潟の他の繊維産地としては五泉、塩沢、加茂、小千谷などおきもの好きなら一度は憧れる高級着物の産地がございます。

五泉は長浜、丹後と並ぶ白生地の有名産地であり、小千谷紬、塩沢紬は大島紬、結城紬に匹敵する高級紬でございます。

また越後上布は、雪の上に布を晒す雪晒しによる北国らしい高級品であります。


京都の老舗呉服店 京都きものセンター 反物 呉服の買取にきっとご満足いただけます。


京都きものセンターの買取ページをご覧いただき、まことに有難うございます。
当社はお客様のご要望に応じて、反物、呉服在庫を全国に出張して買取しております。

昭和の時代に栄えた呉服産業のもと、全国各地で大量の反物、仮絵羽商品が売り買いされました。
問題なのは、この大量に生産された反物などの呉服商品を遺品として受け継いだお若い方々が、
ご処分にたいへんご苦労されております。

昭和時代の古びた反物でも大丈夫です。着物の街、京都にて呉服專門で長年商売を続けてきた
京都きものセンターは、古くなった何百、何千という反物を大量買取しております。
査定当日に現金決済にて買取価格をお支払いし、即日に大量の反物を引き取り致します。

ご父母、ご祖母より家いっぱいの反物を引き継いでお困りの方、
ぜひ一度、京都きものセンターへご相談ください。お電話、メールのほうお待ちしております。

買取専用ダイヤル TEL 0120-10-6300


京都の祇園祭


京都の7月は日本三大祭のひとつである祇園祭に人々は酔いしれます。 当社は毎年南観音山の前で売り出しをしております。
コンチキチンの音色が流れ、明るい提灯のともしびが、大勢の観光客で 賑わう古都の街を照らしだします。
当社にゆかりの深い南観音山。祇園祭りには華やかな提灯が雅に夜の京を照らします。 そして宵山の夜にはあばれ観音が不思議な情緒に。 南観音山の本尊である楊柳観音をぐるぐる巻きにして激しくゆさぶる行事です。

竹田城と「竹田屋」の屋号


京都きものセンターは、長年京都で呉服に携わってきた老舗です。
弊社では毎年「祇園祭」において着物・反物の大売出しを行っておりますが、その際は「竹田屋」という看板を掲げて売り出しを行っております。
これは京都きものセンターの屋号が「竹田屋」であるためです。
日本のマチュピチュと言われ、雲海に浮かぶ城郭を一目見ようと観光客の方が大勢訪れる竹田城。
戦乱に巻き込まれ廃城となった竹田城。京都きものセンターはその竹田城の流れを「竹田屋」の屋号に受け継ぎ、今日に到ります。


お問い合わせ

TEL 0120-10-6300
買取専用の電話です。
買取スタッフに直通いたします。

株式会社 京都きものセンター
古物商許可証 (京都府公安委員会第611020130005号)

京都きものセンターの買取実績 珠玉の呉服

振袖

振袖は未婚の女性が結婚式やパーティーで着用する、袖の長い豪華なおきものです。
江戸時代初期に、若い女性が着る着物の袖がだんだんと長くなりました。当時は踊り子たちが舞台映えのする長い袖の着物を好んで着用したそうです。未婚の女性がこの風習を真似するようになり、袖の長い振袖は結婚前の女性の着物として定着しました。

余談に着物の身丈の長さについて。
ちなみに現代のきものは「おはしょり」といって、腰のところで生地を折り、腰紐でくくり身長に合わせて、着物の丈を調整します。
実は江戸時代より前の時代には対丈(ついたけ)といって、着物は人の身長にぴったり合わせて仕立てされていました。「おはしょり」を出す必要はなかったのです。
これが江戸時代に入り、長い太平の世となると、人々は着物の丈を贅沢に長くして生活を楽しもうという風潮になります。

我々が思い浮かぶのは、祇園など花街でよく見かける舞妓さん、芸妓さん。あるいは大奥のシーンなどで華麗な衣裳をまとい裾を引きずって歩く奥方たち。いわゆる「お引きずり」の着物ですね。
京都の石畳を舞妓さんが歩いているのを見かけると、つっと裾をつまみあげて汚れないように歩いています。
江戸時代には、大奥や花街の舞妓さんばかりでなく、一般の庶民も裾の長い着物を着用していたようです。
しかし屋外では着物の裾が汚れるため、帯を巻いた後に、「からげ紐」「しごき」などを用いて着物を短く縛り、身長に合わせて使用したそうです。

「おはしょり」を留める腰紐を帯に隠して見えなくしたのは、明治時代からと謂われております。
ただ今でも七五三の「しごき帯」は、柔らかくフワッとした彩り華やかな雰囲気で、お子様の着物姿を可愛く演出いたします。
これは江戸時代の着付けの名残が残っているそうです。


艶やかな色柄の振袖の逸品