買取のご案内

大量の反物や仮絵羽の買取

岐阜の反物買取は反物買取専門店の京都きものセンターまで

美濃国と飛騨国が中心となる県です。
近江国から美濃、飛騨、信濃を経て出羽国にまで至る東山道の通る国でもあります。

平安時代頃までは、利根川、木曽川、多摩川など大河に阻まれる東海道より重宝されておりました。

戦国時代には斎藤道三が織田信長と覇権を争います。
戦国の終わりには、徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦が有名です。


岐阜県 岐阜市 岐阜県 大垣市 岐阜県 高山市 岐阜県 多治見市
岐阜県 関市 岐阜県 中津川市 岐阜県 美濃市 岐阜県 瑞浪市
岐阜県 羽島市 岐阜県 恵那市 岐阜県 美濃加茂市 岐阜県 土岐市
岐阜県 各務原市 岐阜県 可児市 岐阜県 山県市 岐阜県 瑞穂市
岐阜県 飛騨市 岐阜県 本巣市 岐阜県 郡上市 岐阜県 下呂市
岐阜県 海津市 岐阜県 羽島郡 岐阜県 養老郡 岐阜県 不破郡
岐阜県 安八郡 岐阜県 揖斐郡 岐阜県 本巣郡
岐阜県 加茂郡 岐阜県 可児郡 岐阜県 大野郡

その他、市郡町村など
岐阜のお客様で反物をお持ちの方は、ぜひ京都きものセンターへご相談ください。

__岐阜出張買取紀行__

岐阜の関市は、鎌倉時代の元重に始まる名刀の産地でございます。
近年の刀剣ブームの勢いは凄まじく、お若いかたも関市に訪れるとか。
「刀剣女子」なる言葉も流行っておりますが、京都のお寺でも、
壬生の新撰組や粟田口の名刀に絡めた刀剣御朱印巡りなど流行っております。

室町時代から戦国時代に最盛期を迎えた関の刀鍛冶として有名なのが、
兼定と謂われております。
特に之定(二代目兼定 和泉守兼定)、疋定(三代目兼定)の名は全国に轟いております。

之定を佩刀した武将としては、武田信虎、柴田勝家、明智光秀、細川忠興、黒田長政と
錚々たる名前が上がります。

ちなみに和泉守兼定は会津藩でも同名の刀鍛冶が存在しております。
会津兼定ともいわれ、その優れた名刀は新撰組副長の土方歳三の愛刀とも伝えられております。


京都の老舗呉服店 京都きものセンター 反物 呉服の買取にきっとご満足いただけます。


京都きものセンターの買取ページをご覧いただき、まことに有難うございます。
当社はお客様のご要望に応じて、反物、呉服在庫を全国に出張して買取しております。

昭和の時代に栄えた呉服産業のもと、全国各地で大量の反物、仮絵羽商品が売り買いされました。
問題なのは、この大量に生産された反物などの呉服商品を遺品として受け継いだお若い方々が、
ご処分にたいへんご苦労されております。

昭和時代の古びた反物でも大丈夫です。着物の街、京都にて呉服專門で長年商売を続けてきた
京都きものセンターは、古くなった何百、何千という反物を大量買取しております。
査定当日に現金決済にて買取価格をお支払いし、即日に大量の反物を引き取り致します。

ご父母、ご祖母より家いっぱいの反物を引き継いでお困りの方、
ぜひ一度、京都きものセンターへご相談ください。お電話、メールのほうお待ちしております。

買取専用ダイヤル TEL 0120-10-6300


京都の祇園祭


京都の7月は日本三大祭のひとつである祇園祭に人々は酔いしれます。 当社は毎年南観音山の前で売り出しをしております。
コンチキチンの音色が流れ、明るい提灯のともしびが、大勢の観光客で 賑わう古都の街を照らしだします。
当社にゆかりの深い南観音山。祇園祭りには華やかな提灯が雅に夜の京を照らします。 そして宵山の夜にはあばれ観音が不思議な情緒に。 南観音山の本尊である楊柳観音をぐるぐる巻きにして激しくゆさぶる行事です。

竹田城と「竹田屋」の屋号


京都きものセンターは、長年京都で呉服に携わってきた老舗です。
弊社では毎年「祇園祭」において着物・反物の大売出しを行っておりますが、その際は「竹田屋」という看板を掲げて売り出しを行っております。
これは京都きものセンターの屋号が「竹田屋」であるためです。
日本のマチュピチュと言われ、雲海に浮かぶ城郭を一目見ようと観光客の方が大勢訪れる竹田城。
戦乱に巻き込まれ廃城となった竹田城。京都きものセンターはその竹田城の流れを「竹田屋」の屋号に受け継ぎ、今日に到ります。


お問い合わせ

TEL 0120-10-6300
買取専用の電話です。
買取スタッフに直通いたします。

株式会社 京都きものセンター
古物商許可証 (京都府公安委員会第611020130005号)

京都きものセンターの買取実績 珠玉の呉服

振袖

振袖は未婚の女性が結婚式やパーティーで着用する、袖の長い豪華なおきものです。
江戸時代初期に、若い女性が着る着物の袖がだんだんと長くなりました。当時は踊り子たちが舞台映えのする長い袖の着物を好んで着用したそうです。未婚の女性がこの風習を真似するようになり、袖の長い振袖は結婚前の女性の着物として定着しました。

余談に着物の身丈の長さについて。
ちなみに現代のきものは「おはしょり」といって、腰のところで生地を折り、腰紐でくくり身長に合わせて、着物の丈を調整します。
実は江戸時代より前の時代には対丈(ついたけ)といって、着物は人の身長にぴったり合わせて仕立てされていました。「おはしょり」を出す必要はなかったのです。
これが江戸時代に入り、長い太平の世となると、人々は着物の丈を贅沢に長くして生活を楽しもうという風潮になります。

我々が思い浮かぶのは、祇園など花街でよく見かける舞妓さん、芸妓さん。あるいは大奥のシーンなどで華麗な衣裳をまとい裾を引きずって歩く奥方たち。いわゆる「お引きずり」の着物ですね。
京都の石畳を舞妓さんが歩いているのを見かけると、つっと裾をつまみあげて汚れないように歩いています。
江戸時代には、大奥や花街の舞妓さんばかりでなく、一般の庶民も裾の長い着物を着用していたようです。
しかし屋外では着物の裾が汚れるため、帯を巻いた後に、「からげ紐」「しごき」などを用いて着物を短く縛り、身長に合わせて使用したそうです。

「おはしょり」を留める腰紐を帯に隠して見えなくしたのは、明治時代からと謂われております。
ただ今でも七五三の「しごき帯」は、柔らかくフワッとした彩り華やかな雰囲気で、お子様の着物姿を可愛く演出いたします。
これは江戸時代の着付けの名残が残っているそうです。


艶やかな色柄の振袖の逸品